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旅行2日目

Posted by Seji Murasame on 29.2008 旅行   0 comments   0 trackback
さて、二日目の続きです
大間崎を後にした私は、下北半島の西側を南下します。
目指すは、奇岩絶壁の磯で名高い景勝地「仏ヶ浦」
食事や休憩などで時間が押してしまい、やや急ぎめで飛ばします。

比較的平坦だった尻屋崎→大間崎と違い、仏ヶ浦までの道のりはかなり起伏が激しく、カーブの多い道でした。海岸がそのまま山に繋がっているという感じです。
標高が高くなったころ、またも霧が出てきました。霧というよりはむしろ雨雲で、道中小雨が何度もぱらついてきました。かなり低く垂込めているようでした。

大間崎を出てからおよそ1時間半後、午後1時に「仏ヶ浦の駐車場」なるところに到着しました。
山すそを走る道沿いに唐突にあらわれた、という感じで、周囲は木々に覆われていて海など見えません。
とりあえず車を止めて出てみました。見ると、駐車場からふもとの方へ道が伸びています。仏ヶ浦へは、どうやらここから行くようでした。
看板が出ています。 『熊出没 注意』 いや、注意といわれても、どうしろと。

道はかなりの急勾配でした。木々が生い茂る山肌に沿ってふもとの海岸へ道が続いている感じで、一応足腰はそれなりに鍛えている私でもかなり厳しい道中でした。お年を召している方とかは相当辛いんじゃないかなあ。
途中、年配のご夫婦とすれ違ったとき、奥さんが旦那さんの腕を取りすがるようにして、ふうふうと息をつきながら登っていかれました。無事に登りきれていればよいのですが。

10分ほど下って、ようやく海岸へとたどり着きました。たちまち目に飛び込んでくる奇岩の数々。おおしくそびえたつものから、鋭く尖ったものまで様々で、有名な景勝地という評判に恥じない迫力でした。
現地の遊覧船がすぐに出航してくれるというので、これ幸いと乗り込みます。漁船を改造したもののようで、船の真ん中の生け簀を囲むように座布団の席が作られています。お客は私のほかに若い夫婦と思しき二人組のみ。

仏ヶ浦[1]

海上から見ると、海岸からとはまた違った迫力がありました。なんでも、この仏ヶ浦にそそりたつ奇岩はその一つ一つに名前がついているらしく、船頭さんがそれぞれ詳しく説明をしてくれていました。
私はといえば写真を撮るのに忙しく、せっかくの船頭さんの説明も右の耳から左の耳へと抜けるという有様でした……どこのおのぼりさんかと。(ちなみに写真の岩の名前も覚えていません。ちょっと挿さってきます)

また、岩も素晴らしかったですが、海の水もとても綺麗だったのには驚きでした。
船の真ん中に設置された元生け簀は底が透明になっていて、海中まで覗けるという作りになっていましたが、そこから遥か10メートルくらいの水底まではっきりと見渡せます。
海底には数え切れないくらいのヒトデとウニが転がっていました。船頭さんによれば、なんでもここにいるウニは固体が小さいので誰も取りにこないため、これだけ増えてしまったのだということ。生け簀の底から覗くだけで2~30くらいのウニがごろごろと転がっていたので、塵も積もればなんとやらになるんじゃないのかなあ、となんとなく思ったりしました。

20分ほどの遊覧を終え、満足して車まで戻ります。行きは下り道だからまだ楽でしたが、帰りはさらに厳しかった。雲が晴れて太陽が見えはじめたせいもあって、全身汗だくになってようやく車までたどり着くことができました。
直通エレベータとかあればいいのになあ、と風情もへったくれもないことを考える私でした。


仏ヶ浦を出た私は、進路を東へと向けます。向かう先は、今回の下北巡りの目玉、恐山。

いったん、下北の中心地、むつ市まで戻り、そこから恐山に入ります。
山へ入りはじめたとき、急に霧が出はじめました。
それもかなり濃い。10メートル先が霞んでいた今朝と同じくらいか、それ以上です。
そして、山中を進むにつれ、道の端に、地蔵がぽつりぽつりと現れはじめました。
深い、深い霧が立ち込める薄暗い山道を、赤い布にくるまったお地蔵さんが、まるで浮き出るかのように次から次へと姿を見せてくるのです。

そして、なぜか――
そのうち半分くらいのお地蔵さんは、首が、取れている。

……
昨晩の八甲田山の深夜強行軍が否が応にも思い出されました。
いやいや落ち着け、ここは有名な霊場。何が怖いもんか神聖な場所だぜ。
そういって気持ちを落ち着かせる私の脳裏では、心霊現象も非常に多いという風聞が私の記憶を刺激しやがります。
あああああああああ


とかなんとかやっているうちに辿り着きました。日本最大(多分)の霊場、恐山。
道中はあれだけ濃厚な霧が立ち込めていたのに、現地に着くと途端に晴れました。
ただ、周囲を取り囲む峰の上は、相変わらず霧に覆われています。
まるで、霊場全体が真っ白い結界に覆われてしまっているかのような錯覚を覚えました。

恐山・門[1]

恐山の門です。
中に入ります。

恐山・門の中[1]

……怖え。
早くも異様な迫力が私の背筋を寒くしてくれます。

写真からは見えませんが、この道の脇にも祭殿みたいなものがありました。

恐山・卒塔婆[1]

( ゜Д゜)


正面の本殿には、念入りに参拝をしました。
早速、順路に沿って登っていきます。

このあたりは現在も活火山の状態らしく、周囲には濃い硫黄の香りが立ち込めていました。
様々な地点から漏れ出ているらしく、歩いていると地面が奇妙に熱かったり、ということが何度もありました。

順路を進むにつれ、ますます異様な光景が目に飛び込んでいきます。

恐山・無間地獄1[1]

うまく言葉で言い表せない、異様な光景です。それこそ、まさに地獄のような……

恐山・無間地獄2[1]

本当に地獄でした。

この恐山は、各所の様々な奇景に地獄の名称を当てはめているようです。このほかにも、いろいろな地獄名を冠した場所が目に飛び込んできました。

私の後方から、観光ツアーの方々と思しき団体が来ていました。ガイドを雇っているようで、大きく元気な坊主さんが、ツアーの人たちを相手に恐山の各所を解説してまわっています。せっかくですので、私もそれについていくことにしました。

先の無間地獄をはじめとした各所を紹介しながら、坊主さんはこの恐山の成り立ちや信仰のあり方などを語ってくれました。
恐山は、いつ、どのように、なんのために開かれたのか。そしてなぜ、全国からこれほどまでの知名度や畏敬の念などを抱かれるようになったのか。
恐山の本尊は、お地蔵さんである。それはどういう意味を持つのか。

それらのことについて、私が軽々しく語るのもおこがましいと思うので、それについての詳細は省きます。長くなりすぎるしね。
ただ、坊主さんのお話の中でも特に印象に残った言葉をひとつ、紹介します。


「だからね、テレビの特番とかでよくある、恐山に行ったら悪い霊を連れてきちゃった、なんていうくだらないお話がありますけどね。私たち関係者や、恐山の信者のひとたちは、そんなのだーれも信じたりしませんよ。ここはね、亡くなった人を弔い、記憶し、そして会いに来る場所なんです。自分の愛した人、夫やお嫁さん、お子さんのね、その記憶をここに残していくんです。だから、ここに来れば死んだ人に会えるんですよ。そういう神聖な場所なんです。なんでそれだけ愛されている霊が、見ず知らずの誰かについていったりするもんですか」


恐山を出て山道を下る道中も、やっぱり霧に覆われていました。
ただ、行きに感じた不気味さは微塵も感じることはありませんでした。


せっかくなので、恐山で撮った最後の一枚をぺたり。

恐山・地蔵[1]


恐山を出てむつ市に下りた私は、いよいよ下北半島に別れを告げます。
むつ市を出るとき、空には青空が広がっていました。

思えば、最初に訪れた尻屋崎の、あの霧と風雨に覆われた情景は、荒涼とした寂しい雰囲気や、そこに生きる寒立馬たちのぬくもりを、より強く感じさせてくれるものであったように思えます。
仏ヶ浦では、それまで不安定だった上空の雲が切れ目を見せはじめ、ご無沙汰だった青空がようやく見えてくれました。
恐山では、それまで晴れかかっていたのが何故かまた曇りに覆われ、それが、あの地のなんともいえない雰囲気をさらに盛り上げてくれました。
そして下北を出るときは、日没の瞬間こそ見えそうにないものの、まだ多く残る雲の中から鮮やかな夕焼けの赤色が見送ってくれています。

なんだかんだと晴天には出会えませんでしたが、下北の各地を観光するという点では、今日はこの上なく天候に恵まれていたのかもしれません。ただ晴れているときよりも得難い感動が、今回の旅で与えられたと思います。

むつ市を抜けて青森へ戻る道中、もう大分遠くなってしまった下北半島が、最後に姿を見せてくれました。
夕闇の中を雄大に浮かんでいます。

下北遠景[1]

充実した一日でした。

旅行三日目の日記については、明日の朝投下します。
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